この前の投稿である、クロケット&ジョーンズのクランフォード3を紹介するうえで、少し話が出ました、靴とキャラクターの話。
まるでガメラのような靴…。
見た目にインパクトがあり、それなりに高級なんだろうけど、あまりに度が過ぎていて、滑稽な靴になっていたのが私は忘れられません。
いくらすごい革でも、見た目があまりにダサかったり、場の雰囲気にそぐわないものであれば、靴の機能の大切な部分を自ら損ねているものだと私は考えます。
なぜこんなことを考えているのか?それは先日知り合いに結婚パーティーの履いていく靴の相談を受けた際、こんなことを言っていたのです。
「正直、軽い結婚パーティーだからTシャツにスニーカーで出たいんだよね…」
私はその結婚パーティーに呼ばれた身ではないですし、どんな方々を呼ぶ結婚パーティーだからわからないのですが、この発言には驚きました…。
冠婚葬祭の簡素化とは言われ始めていますが、スニーカーで結婚式にでると考えが出始めるとは…
そこで、私は改めてなぜ人は靴を履くのか?ということについて考えてみたいと思いました。
目次
なぜ靴を履くのか?
猿と人間の共通祖先は、地上よりも安全な木の上で生活していました。肉食獣に襲われる危険も少なかったことでしょう。
ゆえに、足は木に登るのに特化しており、地上の生活を想定したものではありません
それが人間側へと進化をする種は、ある時木から降り、獲物を求めて長距離を移動する、という生活スタイルへと変化を遂げていきました。
長時間歩くだけの持久力を持つということと、道具を使うことによって、獲物を長時間追い詰めて狩るという手法を確立していきます。
しかし、人間の足は地上の生活に素足で歩いても問題がない程度までは進化しませんでした。それは私たちが日常素足で街を歩いていないのが良い証拠です。
小石や草木のとげがささってしまい、到底長い距離を歩くことはできません。
そこで誕生したのが履物であり、幅広く分類するのであれば衣類と呼ばれるものです。
最新の研究ではネアンデルタール人もまず間違いなく衣類を身にまとっていたという結果が出ているようです。
人類の歴史を鑑みても、何かしらの履物は履かなければいけないのは明確です。
その履物は実用性だけでなく、装飾の意味も持ち始め、やがて「○○のスタイルは○○の場面に合わせるべき」なんていう服装のルールが作られていきます。
履物にはいろいろ種類がありその土地土地によって、礼装とされるものに違いがありますが、2018年現在は、グローバル化が完全に進み、基本的にはイギリスから発祥している靴が主だってビジネスシーンからフォーマルシーンまで履かれています。
先進国家においては、ほぼこのルールは統一化されていると思います。
一般的な例ではありませんが、西洋国家ではノーベル賞授賞式にはホワイトタイの最礼装をして出席します。これは最礼装と呼ばれる最も威厳の高いものです。山中教授が授賞式に出席した際も、やはり燕尾服でした。
ちなみに授賞式においては、その民族の最礼装でも出席は許されるそうで、あの川端康成は紋付き袴で出席したそうです。これはこれで日本文化における最礼装ですから、アリなのです。
ただ、この服装のルールは、ただ華やかな場だからそういった服を着る、ということではありません。
服装のルールの根底にあるのは、場を重んじる精神性、協調性、己の立場、考えなどを視覚的に判断できるようにするためだと思っています。ノーベル賞授賞式の場合は伝統的に「こうあるべき服」というものに則ってはいますが…。
そう考えた時に、やはり結婚式に軽いパーティーであろうとも、自分のリラックスした精神を視覚で認識させるスニーカーを履いていくのは、良識ある大人であればどうかと感じるのです。
ラフな服装がフォーマルで許されるとき。それは…
ラフな服装が許される場面といえば、もうそのように服装が指定されている場合。楽で適当な服を着てきてください。Tシャツに短パンも可とでも書いていない限りはラフな靴を履いていくのは、良心の欠けるマナー違反であると思います。
敬う心を視覚化できるもので、表現できなければ意味がありません。
スニーカーやTシャツが楽をするために着るもの、という根底の認識が覆らない限りはフォーマルな場面では相応しくないものと考えるべきでしょう。
ただ、時代の流れとともにスニーカーがフォーマルシーンに履く靴になる可能性はゼロでないことも確かです。
もしかしたら、動物の革を使うものは全て非人道的行為であるといわれるようになったりするかも?(絶対ないと思いますが)
本当は靴なんて履きたくない
靴というものは、人間が社会生活を送るうえで必要不可欠なものであることは明白ですが、本来靴は履かないほうが断然足には楽で優しいものです。だから履かなくていいものであれば、そもそも靴なんて履きたくないものですが、それでも履かなければ、生活はできません。
どうせ履く必要のあるものであれば、単純にカッコよくて、自分の考えていること、精神性を見た目に示せるものを履いた方がいいでしょう。
服装で損をしないでほしい
服装は好きな人でなければあまり細かく見ている人はいませんが、中にはきちんと見ている人もいるし、場もあります。
レストランやホテルでは靴や服装をみて判断するというのは、ごく当たり前のことです。
だからこそ、自分本位で適当な服装を決めないことです。それであなたは楽をすることはできるかもしれませんが、自分の価値を損ねる可能性は高いのです。
服装で損をすることがあって欲しくはありません。
逆に、カジュアルな結婚式であっても、きちんと良く磨かれた黒のストレートチップを履いていくだけで周りからの評価を下げることはなく、むしろ上がる可能性は高いと思います。
カジュアル化が進む今、ちょっとした知識だけで、自分を優位に立たせることができるのですから、服装のマナーや知識を得ることも人生を豊かにする大切なポイントなのではないでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございます。