ZOZOスーツ ビスポークもITの時代がやってくるのか

人間の歴史は発明の歴史。

ありとあらゆるものを生み出し、発展してきました。

身に着ける衣料品も新しい革命が起きて、生まれてくるのです。

いきなり機織りの機械が生まれたわけではありませんが、先史時代から機織りは行われていたようです。

日本においても、弥生時代には中国から機織り機が伝わり、機織りが本格的に行われていたと言います。

一応、日本書紀に残る伝説的人物として、後漢の霊帝の曽孫であり、後漢が滅亡したのちに韓国地方の方に移り、後に日本へと渡来してきた、いわゆる渡来人の1人であるそうです。

彼が織女を引き連れてきたので、機織りの祖とも言われています。

それからずっと日常使いの織物は、自家製でまかなっていましたが、18世紀以後、イギリスやフランスで活発化した産業革命は織物の業界にもその波が到達し、一気に織物の機械化が進みました。

同時に牧羊、綿花の集約が始まり、より機械も発展していきます。

19世紀には安定して品質の高い生地が供給できるようになったのです。

日本においてはその時代の名残となっている機械を使っているミル(織工場)があります。

Dominx(ドミンクス)で有名な葛利毛織さん。

紡績産業で有名な尾州で、明治時代にドイツで開発された「ションヘル機」という織機を今でも使っている、世界でもごくわずかなメーカーとなりました。

そのションヘル機も、当時としては画期的な発明だったようですが、現代ではほぼ全ての織元で、このションヘル機の5倍近くも生産性のある織機が使われているといいます。

この葛利毛織が生地を織るのに、どれだけの手間暇をかけているのかがわかる良い記事があったので、合わせてごらんください。

しかし、この例は特例であって、他の毛織屋はこのような機械を使っていません。

大量生産された生地で、大量生産したスーツに腕を通す人がほとんどでしょう。

それ自体は何も悪いことではないのですが、ひとつ苦言を呈するのであれば、全く味わいというものを体感することができません。

味わいを必要としない、というよりも、そういった感性を身に着けていない人がほとんどだと思います。

単純に手間暇のかかった、服地、ならびにオーダー品は高額になり、おいそれと手に入るものではないからです。

これはもどかしい問題です。

そんなことを考えている時に、こんな記事を見ました。

「ZOZOTOWN」を運営するスタートトゥデイが、プライベートブランド「ZOZO」の新商品として、初のフォーマルスーツとなるメンズの「ビジネススーツ」と「ドレスシャツ」を本日7月3日から発売を始めるというニュースです。

ZOZOスーツというセンサーがつけられたもので、計測して、そのデータをもとにミリ単位で調整した完全オーダーメードスーツになるようです。

しかも値段はそれでいて、3万円代という驚異的な価格を実現しています。

しかし、スーツが好きな人が、この記事に載っている写真を見るとすぐに気が付くでしょうが、第一ボタンの周りにできたエックス皺など、オーダースーツとはとても呼べないひどい仕上がりになっています。

また、見た目の部分もそうですが、雰囲気が幾分安っぽい。

オーダーメイド品に現れる、スーツの背景にあるパーソナリティ、キャラクターが全く感じられません。

もちろん始まったばかりなので、出来映えはこれからより磨きがかかっていくのでしょう。

完成度も高まり、嗜好性にも対応し、高級服地などがオーダーとして選択できるようになったとき、いわゆる完全オーダーメイドである、ビスポークの分野は消え失せてしまうのでしょうか。

私はそうならないと思っています。

東京の有名なビスポークテーラーである、batak(バタク)のホームページにこのような案内文があります。

ビスポークの本質とは何か。顧客ごとの型紙をつくり、選択された服地を裁断し、仮縫いし、補正し、手縫いで仕上げることではありません。これらは飽くまでもビスポークを創る上での技術的要素でしかありません。重要なのは、着る方の品格や威厳をどのように設計し、ご希望の空気感を創り出すかにあります。それは、均整が取れているカットだとか、規則正しい手縫いのステッチと言った、あたかも既製の工場メイドのように整ったスーツやジャケットを指すものではないことは明らかです。

旧いサビルロウ・メイドのビスポーク・スーツを仔細に研究したことがあります。それは、人間の顔のように左右対称でもなければ、所々の寸法がまちまち、曲線もキレイなRを描いているわけではありません。工業製品の概念から言えば「不良品」、「規格外品」と言ったレッテルを貼られるかも知れません。しかし、着てみるといい。凄くいい。独特の雰囲気があり、カッテイングも不均質ながら、布の持つ柔らかな輪郭やしなやかさが見事に表現されているのです。

(中略)

batakのビスポーク作業には高級な服を作るという意識はありません。お客様ご本人の個性にマッチした空気感、雰囲気といったものを創り出したいという想いで作業しています。それには個性を見極める感覚、技術を手段として使いこなす感性が必要です。そして、そのような服を創り出すには、型紙と縫い(テーラリング)との統合された「表現力」こそが完成度を左右するものであるという結論に至りました。ビスポークにおける型紙づくりは作り手の感性がはっきりと表現されることからも、非常に神経を使う重要な作業であることは言うまでもありません。それと同時に縫い手の感性や力量によっても服はまったく異なった表情を醸すものです。本質なビスポークのスーツやジャケットを着用した時だけに現れるオーラや動いた時のしなやかさは、テーラーの感性で糸のテンションを「強くする所」と「抜く所」を自在にコントロールすることはもちろん、さらに着る方をイメージし、また着る方のスタイルを尊重しながら縫う技術も身に付けなければなりません。だからこそ、batakが取り組んでいるビスポークは、お客様にとっての「最良の品物」ではなく「最高の雰囲気」であってほしいと思っています。

batak ホームページより

この案内文に全てが語られていると思います。

オーダースーツの本質は、空気感を創ること。スーツを通してキャラクターをより魅力的にすること。その時その時に本当に必要とされているものから創り上げること。

この本質がZOZOスーツのシステムでは、今のところ実現できないでしょう。

テーラーには必ずフィッターがいて、その生地とオーダーする人のパーソナリティーをコントロールすることができますが、このシステムではそれがありませんからね。

データを採寸してその通りにつくるのは、オーダースーツかもしれませんが、ビスポークスーツではないということでしょう。

ビスポークとは、be spokenが転じて、出来た言葉であり、その言葉のとおり、語らいながらキャラクターを創造することなのです。

もちろんテーラーは影響がこれから大きく出ていくことでしょうが、テーラー以上に大きな打撃を受けるのが、既製服ブランドや量販店でしょう。

とくに量販店はオリジナリティがなければ、たちまち魅力がなくなってしまうはず。

ここまでつらつらと書いてきましたが、私としては、このシステムに対して、あまり否定的ではなく、むしろどこまで進化するか楽しみであります。

普段ビスポークしている人が、ちょっと動き回るのが多い日に着たいとか、夏ですぐにスーツが痛むから、夏場はこのZOZOスーツでオーダーするとか、本格志向派の人間を納得させることができたら、またひとつ人類の発展ではないかと思うわけです。

ドミンクスのように手間暇かけてじっくり作った織物と、自宅からいつでもオーダーできるようなシステムでは、需要と供給のバランスが保てないため、高級服地を選択させるのも難しいでしょう。

この問題にどう向き合うのかも見ものです。

最近シャツのオーダーがネットで出来るようになりましたが、シャツのようにスーツ以上に消耗の早いものであれば、こういったものを使ってみるのもいいでしょう。

むしろそこら辺のシャツよりもいいはず。

技術の発展には驚かされるばかりです。

今からオーダーしたら夏も終わりだというのに、夏物のスーツが欲しくなってきました…。

来年に向けてオーダーしに行こうかな…(笑)

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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