「装い」を深く考えてみる。 革靴は自分で手入れしてこそ

社内の「ボヤ騒ぎ」はボヤで済まず、大火事になっています。物凄い勢いで火が回り、大炎上。そのため今日も出勤です…

私の三連休は何処かへと飛んでいってしまいました。

仕事を手を抜かずにやるというのは、当たり前のことなのですが、それを恒常的に行うことの難しさを感じる次第です。

さて、先日William Tempsonさんという方からコメントに返信を頂きました。

革靴は磨き屋に任せて、自分では一切手入れをしないという私の知り合いについて、ちょっとお話をしたのですが、Williamさんの返信が良いことをおっしゃっているなぁ。

と思ったので、紹介したいと思います。

鏡面磨きというのは自分でやってこそでないと、靴もファッションもおかしくなってしまうと思うんですよね。

皆さんこの意見をどうお感じでしょうか?

私もこの意見に同意します。

身の回りのメンテナンスは最低限自分でこなさないといけないと思います。

このコメントは一見簡単な言葉になっていますが、その裏にある考えはシンプルかつ奥が深いと思います。

その私の知り合いは実は、こういう風にも言うのです。

靴を磨く時間があるのであれば、その時間を自己研鑽に費やしたほうが効率的であり、そうしたほうが自分の実入りにもより大きくなる、と。

確かに一理ありそうな話ですが、装いというものに関して学ぶ時間は必要ないのでしょうか?

靴磨きに関して学ぶ時間は、金で買っているということなのでしょう。

しかし、何でもかんでも金で解決するというものではありません。

彼はこの前ふっくらとした粗野なフランネルのスーツに、あまりにビカビカした靴を履いていました。

これは私なりの考えなので異論はもちろんあるでしょうが…

フランネルのような粗野なテキスタイルのスーツに、靴を思いっきりビカビカに光らせて履くのはどうにもコーディネートが変に見える。

スポーティーなスーツのはずなのに、妙に足元だけパリッとしているので、なんとも言えないアンバランスな見た目になってしまっている。

いかにも、成金趣味で下品にさえ感じてしまいました。

…どちらかというと、フランネルのスーツと鏡面磨きの相性が良い、悪いということではなく、本人の装いに対する考えが、そこに集約されて表に現れてきたのだと思います。

「靴は磨いて光ってるからいいだろう?」と感じる嫌味な印象。

装いの基本的な考えは、場面場面において、自分の横に立っている人が自分の横にいて恥ずかしい思いや、不快な思いをしないように慮ることだと思います。

そういう意味で、彼はきっと装いというものを疎かにしているのだと思っています。

靴を自分でちょっとブラッシングするだけでも、自分の装いに対する姿勢というのは変わります。

鏡面磨きをした方がいい場面、しないほうが落ち着く場面、そんなケースバイケースはごまんとあります。

そのうえでなぜ靴を手入れするのか?

「装い」を深く考える必要があると思います。

そして、その答えは自分本位の考えではないはずなのです。

今日はちょっと小話になってしまいました。

また、明日以降、チャーチの靴の紹介などをしていければと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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コメント

  1. William Tempson より:

    鏡面磨きの方法も色々ありますからね。
    私はあまり好きではないですが、全体をギラギラにしてしまう磨き、爪先のみ、グラデーションを付けて鏡面とそうでない部分の境を自然に作る磨き等、沢山あります。

    フランネルならグラデーションの物が良いですね。というか私はほとんどがそれですが。。

    鏡面にする理由は、やはり全体を見た時に爪先が光っている方が締まって見えて格好良く、歩いているときもキラキラして楽しいという感覚的な物から、靴を守るという物理的なものまでありますね。

    磨き屋の手入れは、時間勝負なので正直そこまで良い気がしません。
    やはり、磨きも手入れも自分でやる方が良いですよね!
    (バーリーコーンさんのメールが分からず、私から連絡できないので、churchs173@gmail.comまで空メールでも良いので連絡下さると幸いです(^_^;)

    • バーリーコーン より:

      ウィリアム・テンプソン様
      コメントの返信遅くなりました。
      フランネルのスーツにビカビカの靴も…う~んって感じですね。
      メールお送りします。ご返信お待ちしております。