ファッション界の重鎮が〇年履いた靴に対して思うこと 

今回の記事は徒然雑記です。

タイトル通りの「ファッション界の重鎮が〇年履いた靴に対して思うこと」に関してです。

ちなみに今回指す「ファッション雑誌」というのはMEN’S 〇Xのような、輝けライフ!が今まで扱ってきたものを良く取り扱っているようなファッション雑誌のものを特に指して話を進めていきます。

相も変わらず賛否両論ありますし、私の主観が強く出ているので、小話程度にお付き合いいただければと思います。

ファッション雑誌の重鎮たちの話は生きた情報じゃない

ファッション雑誌を読んではいちいち「そうなのか、そうだったのか」と驚いいたり唸ったりしていたのは私としては遠く昔の話になりつつあります。

なぜなのか?

スマートフォンというごく気軽に持ち運びできる小型パソコンが登場してからは、「情報」をどこでも簡単にいち早くキャッチできるようになったからだと思います。

しかもこの「情報」…

特に今回はファッション系に絞ってみてみます。

その出方はブログやインスタグラムなど色々な形態がありますが、そのどれもが殆ど一般のサラリーマンやOL達が日々の仕事に追われながら片手間にやっているものばかりです。

しかしそれにも関わらず質の高いものは良く見受けられます。

なぜなのか?

純粋にその情報を世に出している人が、そのブログなどで扱っている分野が好きで、人一倍詳しいためでしょう。

好きなものに注ぐパワーというものは想像以上に効果が発揮され、薄っぺらいメンズ雑誌では到底太刀打ち出来ない、知識、文章の凄み、そしてリアリティが出てくるのです。

実際に日ごろ使っている生の感想がグッと伝わってきます。

私はこういう「生きた情報」が大好きです。

まさに生活に則していて、リアリティに満ちあふれています。

呼吸が聞こえてくるようです。

対してファッション界の重鎮が〇年履いたとかいう靴には全く驚きも感動もしません。

それは「生きた情報」ではないからです。

何十年履いたけど、今も現役!

いや、一部本当のことを言っているのかもしれませんが(全部嘘だったら逆に手がつけられませんが笑)、皆直感で気がついてるはず。

「この情報は限りなく嘘に近い」と。

「何十年履いたけど今も現役」というのは、普段私達は靴を履いていて、そんな話はあるわけがないと気がついています。

せいぜい多くて5足程度のローテーションで回している一般人には縁遠い、まさにテレビドラマのような虚構の世界です。

どこぞの重鎮がスエードの靴を紹介している雑誌がありましたが。。。

「スエードのスプレーを振らなくても、スエード独特の履き皺もついてすらいない。これは革が良いから。」

といっていますが、果たして本当かどうかというと、やはり信ぴょう性は皆無。

コレクションの100足のうちの1足を50年履いていれば、そのような結果になるでしょう。

だからこのスエードの話は事実かもしれませんが、リアリティはない虚構の世界に極めて近く、それは現実として嘘といって差し支えないと思います。

私はこの手のエピソードが嫌いです。

全くリアリティが感じられないからです。

確かに彼らのフォトスナップを見ると、完璧な着こなしでうんちくもあり、勉強になりますが…

何となく薄っぺらいと感じてしまう。

それよりも街中で、サラッと綺麗なサイジングのスーツをばちっと決めて、足早に駆け抜けていくビジネスマンのファッションの方が好きなんです。

あのせかせかした様子がたまらなく人間臭く、生活に則していてカッコいい。

ちょっと脇道にずれますが、私がジェームズ・ボンド(特にショーン・コネリー)を映画史に残る絶対的なファッションアイコンと感じるのは、その着こなしだけでなく、彼の物に対する姿勢がリアリティに溢れているからだと思うのです。

彼はどんなに高級なスーツ、シャツ、カバン、車を身に着けていようと、あくまで実用的にひとつひとつのアイテムを使っています。

これは2作目の「ロシアより愛をこめて」を見るとよく感じることができるのですが…

風呂に入る前に、ボンドはスーツをそこらへんに適当に脱ぎ捨て(写真にも写ってますね)、ネクタイも放りなげ、ターンブル&アッサーで仕立てたビスポークのワイシャツも、風呂場にぐしゃぐしゃに丸めて投げ捨てます。

本来身に着けるものは、これくらいの気持ちで付き合って、ようやくどんな服でも「服が自分に着られるようになっていく」のではないかとさえ思います。

リアリティがこもっており、ごく自然体に服を着こなしている姿にしびれます。

このしぐさは、表面上の重鎮雑誌に載っている重鎮たちよりも、よっぽどリアリティがありカッコいい。映画に出ている架空の人間よりもリアリティがない、ってどういうことなんだ!(笑)

きっとファッション界の重鎮たちは、ビスポークのシャツをぐしゃぐしゃにして投げ捨てたり、スーツをハンガーにかけずに投げ捨てるなんてことはしないはずでしょう。

(多くの人がそうしないでしょうが、むしゃくしゃしている時はこんな風にしたくなる気持ちはよくお分かりなのではないでしょうか?)

まあ、もちろんファッション界の重鎮たちは、様々なファッションの在り方、歴史、そして流行を先導しなければならないでしょうし、商売道具は大切にしなきゃいけないし、色んな格好をしなければいけないのでしょう。

彼らの仕事において、何十年も同じスタイルのスーツを何着か着続ける、ということはほとんどないはずです。

しかし、ゆえに身に着けるものの1つ1つにリアリティがこもらない。

最初の頃は掲載されている情報に驚いてみていたものも、新鮮味はあっという間になくなり、しばらくすると見ていて退屈な雰囲気になってしまう…。

それからファッション雑誌で語っている人たちがここ何年も変わらないのは、見ていて腹が立ちます。

彼らの代わりはいないのでしょうか?

もしかしたら、彼らのようにファッションに全力をかけている若い世代がいないのかもしれません。

しかしいつまで経っても代替わりしようとしていないのも透けて見えるんですねぇ。

後進の気配が全く見えない。

せいぜい感じるのはBEAMSくらいでしょうか。

BEAMSは公式ホームページにスタッフひとりひとりの情報が載っており、若い人たちの感性も感じられてとても楽しいです。彼らのファッションを見ていた方がよっぽど勉強になります。

いつまでも変わり映えしない人たちを使わないで、新しい風を吹かしてほしい。

ファッション雑誌も変わっていけばいいのにな。

しかし、これだけ素人さんたちが有益な情報をバンバン無料で出す現在、ファッション雑誌は危機感を相当強めないと、どんどん消え去っていくでしょうね。

せめて消えないくらいに強い生きた情報を出してほしいな、と思った今日でした。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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コメント

  1. 中尾 より:

    私はチャーチ御三家(笑)を通勤ローテーションの核に働くサラリーマンですが、これだけモノや情報がネットに抱負に出回るなかで、最近はショップに殆ど足を運びません。ファッションを考えたり、着こなしたりすることは、人生の大切な一部です。なのですが、ファッションのことばかり考えていると、何かが欠けてしまう気がします。辛いとき、お気に入りのリングヂャケットは私を励ましてくれます。商談がうまく進んだとき、いつもにもましてディプロマットは誇らしげです。私にとってファッションは「輝けライフ」の大切なパートナーです。にしても、です。
    「ファッションで食べている人」がいるからこそ服も靴も買えるのですが、「食べている人」の情報は、言ってしまえば「売らんがため」の情報です。それよりもファッションを「楽しんでいる人」の情報ではないかと(もちろん「食べている人」も「楽しんでいる」のでしょうが)。
    取りあえずはサラリーマン、ファッションに関する知識と同様に、いやそれ以上に自社商品の知識を身に付けたりしなければなりませんが、そういう現実を楽しみつつ、明日に備えて靴を磨いたりタイを揃えたりする夜は楽しいです。楽しみながらもファッションだけに支配されたくない、ということでしょうか、
    ファッション情報だけに留まらない、留まれないバーリーコーンさんのブログは等身大でとても共鳴します。ときに無造作に頑張りましょう!
    最後になりましたが、バーリーコーンさんがおっしゃるサイズ感、一番大切だと思います。

    • バーリーコーン より:

      中尾様
      いつもコメントありがとうございます。
      いつも身に余る言葉を頂いて恐縮です。あんまり服のことばっか考えても不自然な感じになってしまいますよね。
      そういう意味で自分も仕事に打ち込まなければいけないです(笑)